★ 緊急??入院日記!!★



お騒がせな「そのちん」は 2002年を迎えてすぐ 緊急入院をしてしまったので あった・・・(泣)

びっくりさせてしまったお詫びに 日記など 書いてみましたので 
せいぜい 楽しんでくださいまし・・・

それでは  はじまり はじまり〜!!!

★そのちんの病室★ お天気が良いと
 富士山が見えるのだ

  わりと気に入っている。

 

 
 2002年 そう 今年こそは 今年こそは・・・元気いっぱい遊ぶぞ!! 
  気合じゅうぶんに 張り切っていた そのちんだったのにぃぃぃぃ。。。
   新年早々 入院だなんて ずいぶんじゃありませんかぁ?
     しかも 朝日新聞の連載記事の最中なのですよね。
   あまりにも 格好悪いタイミングでございました。とほほ・・・
 こうなったら なにもかも 吐き出してやる〜!!聞いてくれ〜!!


入院前日
(2002年1月11日)


腰痛がひどい。11月から続いていたこの腰痛は 1月8日の診療で胸椎の圧迫骨折とわかった。
痛いはずだ。。。。その日、コルセットの購入を勧められ、売店で着用し、そのまま帰宅した。

その日以来、家事も手を抜き、おとなしくしていたつもりだったが、
やはり この重たい体を支えている胸椎には ものすごいダメージがあったんだろう。

ゆかちゃん宅で

朝、いつものように だるくてしんどい体を 半分だけ起こして YOSHIを仕事へ送り出す。
少し休んでから、近くに住む妹 ゆかちゃん宅へ 車で向かった。

このところ腰が痛くて 何もできないので ゆかちゃんには世話になりっぱなしだ。
一人でいると ご飯も食べない姉ちゃんを心配してくれて 「来れば」と言ってくれる。
それに甘えて 「お願い・・・」と頼ってしまう。でも今は・・・ほんとにすがりたい気分だ。

その頃は痛みはそれほどではなかった。でも 着いてすぐに 横になりたかった。
「悪いけど・・・」と言いながら、ゴロリとなってしまった。
いつものように 洗濯物をたたんだり、掃除の手伝いをするという余裕はまったくなく だらける。

昼過ぎ にぎやかな姪っ子たちが 幼稚園から戻ってきた。
一緒にお昼ご飯を食べるが サラダしか のどを通らなかった。このくいしんぼうそのちんが・・・
でも 一人だったら、まったく何も食べられなかったと思う。
それに にぎやかなこの家は 気持ちがまぎれて ありがたい・・・・

午後になると 体を起こす時に 右わき腹が ものすごく痛くなってしまった。

昨夜 コルセットをして寝たのだが、咳がすごく出たので 圧迫されたからか、筋肉痛だと思っていた。
それが この時には 普通ではない痛みに思えた。あばらでも折れたかな?という感じだ。
顔をしかめている私を見て 姪っ子たちは「大丈夫?」っていう顔で心配している。

夕食の前に 「体を温めたら少しは良くなるか」と思い、一人で風呂に入ることにした。
いつもは「誰かおばちゃんと一緒に入る人〜!」と子供達と入るの。
だから姪っ子が「おばちゃんと入る〜」と。でも・・・「ごめん、今日は一人で入るね・・・」

しかし どんどん 痛みとしんどさは増してしまった。

夕飯は 甥っ子も姪っ子もみんなで一緒に食べたが やはり のどを通らなかった。
「ごめん。食い逃げだけど、今日は帰る・・・」
甥っ子の小さな肩を借りて やっと立ち上がった。

姪っ子が 「痛いの、痛いの 飛んでいけ〜」 
そして私の水晶のネックレスを握り締めて なにやら お願いをしてくれた。ありがとうね。

車に乗り込んで とにかく自宅へ。
しかし、車から降りるときも 一苦労で 「痛い・・・」と うなり声を出したくなるほどだった。


涙が・・・

アパートの階段をなんとか上がって、ドアを開け、コタツの前に 楽な姿勢で落ち着いたとたん。。。
涙が・・・あとからあとからこぼれてきた。
「どうしたらいいの?どうなるの、私?」
声を上げて、
久しぶりに 号泣してしまった。

ぽっかりと ひとりになってしまった気がした。これからのこと考えるのがこわかった。
さみしくて、さみしくて、どうしていいのかわかんなかった。
TVもつけずに 放心状態のまま・・・ 明日のことを考えて また泣きたくなった。

明日は ずっと前から計画していた 大切な仲間との約束の日だった。
何よりも楽しみにしていた・・・と言っても過言ではない、大切な集まりだった。
這ってでも行きたい!寝てても話したい!とにかく会いたい!!
その思いは この痛みの前では 「あきらめ」に変わっていった。。。
くやしくて たまらなかった。

 

たいせつな仲間たち

「無理だ。。。」そう思った私は 仲間たちに メールを出した。
すぐに 電話が鳴った。仲間の一人が 心配して電話をくれたのだ。
最初は状況を説明していたのだけど、話しているうちに涙が出て、涙声になってしまった。
弱気になった私に 「無理しないで・・・」って、
私のこころを 受け止めるように・・・抱きしめるように・・・聞いてくれた

他の仲間も 続々とメールで 私を気遣ってくれた。
「そのちんの痛みがとれますように!!!」
「今回は無理せず大人しくおうちで寝てようね。」


ほんとうに うれしかった。
体の痛みは取れなかったけど 
こころの痛みは 和らいだ気がした。
電話を切って、また しゃくって 泣いた・・・・・

YOSHIがいる安心感

痛みが治まらず、もう たまらなく不になる。仕事中のYOSHIに電話。
「なるべく早く帰ってきて・・・」って やっぱり涙声で言った。
恥ずかしいけど、私は 子供のように ”甘える人”をさがしていた。
そばにいて 誰か 抱きしめて・・・・
こんなときは やっぱり YOSHIに頼ってしまう。安心できる存在なのだ。

YOSHIはいつもより 早めに帰ってきてくれた。

私は 動くことすら 痛くてできず、YOSHIは自分でカレーを温めて食べる。
私は 泣きながら「明日 行きたかったのに・・・くやしい・・・」とぼやく。
YOSHIは うなずきながら だまって聞いてくれる。
そう・・・今は 聞いてくれるだけでいい・・・YOSHIはわかってくれているのだ。それだけでいい。

ひとしきり うったえてから 落ち着くために ベッドに横になることにした。
立ち上がるのも、ベッドに行くのも、
YOSHIに支えてもらっている。
ベッドにゆっくり横になったが、なんと 自分で体をずらすことができない・・・
ベッドの真ん中まで YOSHIに体を押してもらって 落ち着いたが・・・
この 痛さと もどかしさと くやしさと・・・・どうにもこうにも 涙が止まらない・・・

「明日になったら ケロッと痛みが無くなったらいいのに・・・」
布団の中で 泣きながら 眠った。
YOSHIは 隣の部屋で そんな私を 無言で 癒してくれていた・・・いてくれるだけでいい。

入院当日
(2002年1月12日)

泣き寝入りして・・・2時間くらい寝ていた。
YOSHIは まだ 隣の部屋で 起きていた。
「まだ 寝ないの?」 「もう寝るよ」 時計は もう 夜中の1時になる。

このとき 私の不安は ピークに。
「この状態じゃ 明日 私は一人でトイレに行くこともできない。」
「ゆうちゃんに来てもらおうか・・・でも 急にどうかなったら 救急車騒動になる・・・」
とにかく ゆうちゃん(看護婦であり すぐ下の妹)に電話で相談した。 

いろいろ考えて また 泣いていたら 
吐き気がしてきて、頭がのぼせて
「もうダメ・・・」と思った。

「今から 病院へ行く!」 私は そう決めて 病院に電話をして
 YOSHIの運転で 
病院へ向かった。入院は覚悟の上で。
夜中の2時をまわっていた。

救急の受付

救急で病院に来ると、まずは事務のお兄さん達が 症状など聞いてくる。
そして 内科の先生がいいのか 外科がいいのか・・・と質問される。
「いつもかかっているのは乳腺外科です」と言うと 外科の先生に連絡を取ってくれる。

なんだかんだ 用紙に書かされて、待つこと30分。
痛みをこらえての30分は とても長かった。

この時間の中で、事務系のお兄さんが ほんとうに 事務的に行動していて
なんだか 病院じゃないのか、と思うくらい ちょっとよそよそしい感じだった。
手続きさえ終われば 声をかけてくれることもなく ただ 待たされた・・・

外科のK先生の診察

診察室に通されてから また 何分も待ったと思う。
「おまたせしました。」と頭を下げて診察室に入ってきたのは K先生だった。
優しい対応だったので 少しずつ 心が ほっとしていく・・・
先ほどの事務系のお兄さんたちとは 違っていた。
立ち上がる時には 「大丈夫ですか?」と手を添えてくれる 優しさがあった。

看護婦さんもてきぱきしていたし、診察室の中は とてもあたたかい空気で、ほっとした。
病院に来て ほっとするなんて・・・・不思議だった。

そして 何よりも嫌いである点滴。しかし・・・
痛みで「どうにかして〜」という状態では 苦痛を感じないものなのだ。
いつのまにか 点滴をされて、車椅子に乗せられた。

検査

トイレで痛み止めの座薬を入れてもらった。
検査のため 車椅子のまま レントゲンを撮りに行った。
少したつと 痛みが和らいできた。よかった。

肺のレントゲンとCT(腹部と胸部)

検査をするまでに また 30分は待たされた・・・と思う。
誰もいない廊下で ひとり 車椅子で・・・

いろんなことを考えてしまった。弱気になっている私が、とんでもないことを考える。
「もしかしたら、このまま 私は 病院をでられないのかもしれない・・・」

救急隊員さんの優しさ

やりたかったことが 頭の中いっぱいで・・・涙が流れた。
あとから あとから 流れて 流れて・・・一人きりだとぬぐうことも 忘れている。

そこへ 救急車が着いたのか? 救急隊員が何名か入ってきた。
私以外にも もっとひどくて 救急車で運ばれてくる患者が いるのだ。
こんな 夜中に・・・働いている人がいるんだね。

一人ポツンと泣いている私を見て 救急隊員の一人が 近づいてきた。
「どこか 苦しいですか?」
私は・・・「いえ 大丈夫です」 と答えた。

その一言が ものすごく うれしくて・・・また 涙があふれて流れた・・・

その救急隊員さんは 自分の作業がおわってから もう一度 私のそばに来た。
「私 帰ります」
なぜだろう。それだけで こんなに うれしいなんて。
その人の 心配そうな笑顔が 忘れられません。ありがとう・・・

2人部屋

検査がひととおり終わった。痛みも落ち着いて 気持ちは穏やかになった。
結局 YOSHIが 先生と話してくれて 
入院の手続きをしてくれた。
K先生は 「ベッドもあいていたし、大事をとって 入院しましょうか」と言ってくれた。
この分では たとえ痛みは一時的に治まっていても 不安だし、入院の方が安心と感じた。
「はい。よろしくお願いします」
そして K先生は 自ら私の車椅子を押して 話しながら 病室へ連れてきてくれた。

「2人部屋」へ入った。でも隣はいないので 個室と同じだ。
室料は 10000円。ごめんね・・・なんだか 贅沢な感じがした。
窓の外は 見晴らしがよく なかなかだ。
車のライトとか遠くの明かりが キラキラしていた。
ちょっと涙で にじんでいるせいもあるのかな? きれいに見えたよ。

あまり 気持ちの余裕がないので すぐに ベッドに横になった。
まだ 
ムカムカがあって、だるかった。
看護婦さんが ちょっと 状況を聞きに来た。
私の様子も落ち着いたので YOSHIも帰った。ありがとう・・・

もう 朝の6:00だった。明るくなってきた。
点滴が終わって・・・やっと眠りにつく。。。。
明日(今日か・・・)は どんな日になるんだろう・・・不安なまま目を閉じた。


別の世界?

2時間ほど寝ただろうか・・・
「朝ご飯です」 看護婦さんが 朝食を持ってきてくれた。
食欲はまったくなく、少しでも・・・と思って 食べ物を口に押し込む。
なんだか むなしい・・・悲しい・・・ひとりぽつんと 別の世界に 残された感じだ。

またゴロッと横になったが ムカムカは続いていた。
いつまで この状態が続くの? 不安で不安で仕方なかった。
ベッドから見える空が 灰色に見えて、吸い込まれていきそうだった。
恐くて、恐くて、たまらなかった。

一人でいたら どうにかなりそうだ・・・

微熱があった。(7.3

誰かと話すこと

午前中に YOSHIとゆうちゃんが来てくれた。
YOSHIは仕事に行き ゆうちゃんには 家から必要なものを持ってきてもらった。
ゆうちゃんが病室に戻ってくれてから 昼食。
焼きそばだったがやっぱり
食べられなかった

点滴台をつえ代わりにトイレに行ったら 
知り合いのMさんの部屋を見つけた。「あら?」「緊急に入院しちゃいました」
少し話しをしていたら 少し元気になった気がした。
やっぱり 私は 人と話さないと 元気が出ないんだ。

誰かと話をすることが 今の私に大切だと思った。

しかし、今は 長時間立っていられない。痛みがある。
やはり無理は禁物。病室に戻った。

PHSに 「お見舞い行っていい?」とメールが入った。
本当は 今日 会うはずだったみんなからだった。
12時半に入れてくれてるメール。気づいたのは 今 2:00だ。

人 恋しかった。
「今からでもよかったら 来て〜!」 返事を出した。

そしたら 30分もしないうちに 扉をノックされた。
みんなは もう 私のもとに 向かっててくれた。うれしかった。

大好きな友達

「そのち〜ん!」
4人の乳がん仲間が 駆けつけてくれた。大好きな友達だ。
みんな 心配させてごめんね。ありがとう。
ガーベラのたくさん入った花カゴをもらった。黄色とオレンジで とってもきれい!
たくさん 話をした。ほんとうに楽しい時間だ。
買ってきてくれたアイスクリームをみんなで食べた。幸せだ〜。

私はベッドの上で、姿勢をかえながらも、苦痛は感じず、みんなと話し込んだ。

個室でよかった。少しくらい大きな声で話しても、笑っても だいじょうぶだもんね!
3時間くらいいてくれたかな。

昼まで すごく落ち込んでいたのに、私って ほんとに単純だ。

私の特効薬?


夕方になって、ゆかちゃん(妹)と甥っ子、姪っ子たちが来た。
大切な仲間達に 初めて会う 私の大切な家族を紹介した。

3姉妹の末っ子の妹 ゆかちゃん。そして 4人の子供達。
小2の雄太(ゆうた)。いつのまにかお兄ちゃんになってきてあまり泣かなくなったね。
6歳のこころ。優しいお姉ちゃんになったし、頑張り屋さんなんだよね。
4歳のひかる。おしゃまでいつもおばちゃんを笑わせてくれるんだよね。
1歳になったばかりの太我(たいが)。やんちゃぼうずのあなたの笑顔は最高!

個室がいっぱいになった。私はうれしかったけど、友達は遠慮して 帰っていった。
遠くから ありがとう。

しばらく 子供達とも あたたかい時間を過ごした。

楽しい時間は早く過ぎる。あっと言う間に みんなが帰る時間になってしまった。
そのとき・・・
雄太は 私に手を伸ばして 握手をしてくれた。
「僕が とっとおばちゃんに パワーをあげるね」

雄太が小さい頃から 魚を飼っている私をみんな「とっとおばちゃん」と呼ぶ。

「私も!」 こころとひかるが ほっぺに チュ!としてくれる。
太我は寝起き・・・「仕方ない。こっちからチュ!」 私が無理やり・・・(笑)

みんな 突然で びっくりさせたね。ごめんね。 ありがとう!!
みんなの笑顔が おばちゃんの病気を治してくれる。
「特効薬」っていう お薬かもね。


    ★ 私の特効薬 ★     「だいすきな とっとおばちゃんへ」
   甥っ子達が作ってくれた。
 私の好きな魚の形の紙に
     それぞれが折り紙で
   イルカもエイも作ってくれた。
 正月にみんなで行った旅行の写真。
  これを見ては がんばったよ。
   雄太、こころ、ひかる、太我!
     私の 特効薬!!



ゆうちゃんは ゆかちゃんの家に泊まって 明日も来てくれるって。
すまないねぇ。ありがとう・・・ 妹たちには 頭があがりません・・・・

夜、面会時間ぎりぎりに YOSHIが 来てくれた。
でも 昨日はほとんど寝ていないので・・・すぐに帰ってもらった。
ここでも 私は 気持ちと裏腹な態度をとってしまうんだなぁ。

「昨日 ほとんど 寝てないでしょ? 早く帰った方がいいよ」 なんてね。
ほんとは 「もうちょっとでいいから ここにいて!」  なのにね。

みんな 今日は ありがとう。 感謝しながら寝ることにします。

 

入院翌日
(2002年1月13日)

 

★ 続きはちょっと 待っててね!!★
体調がいまいちで なかなか進みませんが、お許しをぉ〜。

 

 

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