★ 金沢市民フォーラム報告日記!!★ |
ありがたいことに この私に 歌ってくれないかと お誘いがあった。
BCSG石川(ブレストキャンサーサポートグループ)主催で市民フォーラムが開催されるという。
ぜひともご協力させていただきたい!こんな私でよかったら・・・なんでもします!!ありがたいお話だ。
乳がんになり、転移・再発をしている私にとって、これからの人生への希望につながるものだと私は確信したのだ。
まず この日記を書くにあたって、主催のBCSG石川の方々、共催のアストラゼネカ(株)の皆様、後援の石川県に
感謝を申し上げたい!! 「ほんとうに こんな機会を与えてくださり ありがとうございました!!」
さて、それでは 報告日記を (2001.4.6〜2001.4.10) お楽しみくださいませ!!
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市民フォーラム 2日前 (2001年4月6日 金曜日)
普段、有名なアーティストの録音やレコーディングをしているNくんに 頼み込んだのだが そして 1曲目「海になりたい」は なんと 1週間ほど前に 私たちの考えていた1曲目のはじまり方が変更になった。 それならば 1曲目のSE(始まりにふさわしくなるように前奏の前に少し音つけする) 最終的に この曲は 大満足のものに 仕上がった!! |
さてと・・・・・そのえは MC(曲と曲の合間に話すこと)を考える。 あ〜 結局 YOSHIがギターを弾く曲、一緒に練習できなかったね。 結局、本日も2時間ほどの 睡眠ですかぁ。 まあ 明日は なるべく ゆっくり ゆったり過ごしましょう! 姉ちゃんは朝が弱い。 ワクワクとドキドキを かかえたまま 就寝。ZZZzzz・・・・ |
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市民フォーラム 前日 (2001年4月7日 土曜日)
さて 朝 5:00 モーニングコールにて 起きる。起きる・・・ まだ 早朝だし、まわりの住民を 起こしてはいけない。 東名高速が もうすでに 混んでいる。みんな早起きだなあ〜。
首都高速を抜け、羽田空港へ 到着!! AM 7:10 そして AM 8:15発の 小松行きの搭乗口へ 結局、輪っかのついた棒?で 頭からつま先まで さすられ、 たぶん ベルトの金具か トレッキングブーツ(鉄板が入ってるらしい)が よかったわ〜。 しかし、こんなに 厳重なチェックだったかな? 搭乗口に向かう途中、私たちの前に・・・「あ〜 Hさん みっけ!!」 わざわざ 東京から金沢へ フォーラムのためにかけつけてくれた うれしかった。一緒の飛行機で 金沢に行けるんだね。 遠くから ありがとう!!
飛行機は 離陸! この瞬間が たまらない。恐くもあり、うれしくもあり・・・複雑。 あっと言う間に 上空だった。私は窓側の 席だった。 「あ〜〜!!まあるい虹だ〜〜!!」 皆さん、こんなの 見たことが ありますか?? なんと 自分の乗っている飛行機の影のまわりに まあるく囲むような 虹!! 丸いドーナツ型の虹は きっと
空港から 車で 今日から2泊する宿へ むかった。犀川沿いの 静かな和風旅館。 BCSGのお2人が 宿まで来てくれて 4人でドライブしながら、満開の桜を 楽しんだ。 こんな 桜のように なれたらいいな・・・ そして、窓からもお花見ができるようなお店で 美味しいランチを 食べた。 「あ〜 美味しい!」の連発だった。金沢に来てよかった!! 金沢での最初の食事は 予想通り 大満足だった。
食後 明日の会場 「石川県文教会館ホール」に案内してもらった。 きれいなホールだ。 ステージのそでに案内された。 いっぱいいっぱいです〜。もう だめです〜!! 「正面からステージを見てみたら・・・」と言ってくれたが、 そんな感じで 会場から出た。 そして また 宿まで 送ってもらう。 しかし・・・お腹がいっぱいになると、 車の中で 船をこいでしまいそうになりながら・・・宿に 到着した。
BCSGの方たちと 「それでは 明日〜」と別れた。 部屋に入った私たち。仲居さんが お茶を入れてくれる。 私は・・・布団を引きずり出し、そのへんにあった座布団を枕がわりにして 「あ〜 ねむたい・・・」横目で チラッと YOSHIを見ると 「こやつ〜 やるじゃねぇか〜」と 「がーーーーっ ぐーーーーっ・・・・」「え? なに?」 そうなんです。YOSHIは・・・・ 「ぷっ・・・」と笑いつつ・・・
気が付いたら もうすぐ 同じ宿に泊まるお友達が 金沢に 到着する時間じゃないか? 「どこかでお茶でもしようか・・」なんて 言ってたくせに・・・ 「布団で寝たら〜?」自分が満足した後は 少し優しさも出たりする 妻である。(笑) 友達は結局、空港から直接 宿まで来てくれた。 1階のロビーまで行くと なつかしい顔が・・・RATSさんだ!! 最高のコンビだね! みんな いとおしく、私にとって 大切な親友だ!!
YOSHIと2人で 散歩がてら 片町の方まで お友達は 着いたばかりで疲れているだろうから 宿で 休んでてもらって・・・ 土手には 花見で おおはしゃぎの人達。 とにかく 私は 明日のパワーが欲しかった! ”明日のパワーをください! これが 明日 あの会場で 歌ったりしちゃうヤツが することなのかぁ〜!!
片町の商店街にたどり着き なぜかユニクロでサンダルを購入(YOSHI) そして、明日の備品をそろえ、宿にいる友達に メールを。 帰りは 荷物が多くなり、結局 散歩は行きだけ、
さて 食事前に 差し入れのお菓子を届けよう!! 部屋に入ると・・・テーブルの上のカニを 美味しそうに食べている3人。 「へへ・・お先に〜! 6:00から食事にしちゃったよ〜!」と まゆりん。 「あとで 乱入するよ〜!」と宣言し、私は ごはんに まっしぐら!
食事は 加賀料理を含め 10品くらいは出てたかな。 しかし、こんなに食べてしまったら 眠たくなっちゃう。練習しなきゃならんのに〜
★ みんなの励まし ★ 食事の後、明日の確認など ちょっと 悪あがきをする。 YOSHIは いつも 冷静に 物事を考える。
しばらくして、隣の部屋の3人が 乱入!! 私が けっこう 落ち着きが無いのを知り、みんなは いろんな言葉で 励ましてくれた。 「コケたら コケタで 舌出してしまえ〜」 笑いまくった!! これで 腹筋をトレーニングしているのか? まだまだ 話はつきなかったが、皆が気をつかってくれて 早めに 解散!!
もう いまさら 悪あがきはやめて お風呂に入ろう! まだ 用意をしているみんなに「先にお風呂で 歌ってるわ〜」って言って 一足先に お風呂へ。 お風呂には ラッキー! 誰もいなかった。 そこへ まゆりん RATSさんが。 待ってたよ〜!!
また このお風呂タイムで 私は 勇気を 増やせた 気がしたんだよ。ありがとう!! しかし・・・ まゆりん。お風呂あがって、脱衣所に一緒にいたのに
今夜は もう 悪あがきはしないで ”しっかり 寝る”ことにします。 おやすみ!
YOSHIの 高いびきで なかなか寝付けなかった私ですが、
お天気は 良い!!
9:00 タクシーを頼んであったので、楽器を積んで 出発!! 隣部屋の3人とは 朝は会えなかった。
会場「石川県文教会館ホール」には 9:30 到着。 私たちは 主に ライブハウスに出演していたので、夜の出演が多かった。 私は 何を隠そう もとスクールメイツ。(正確にはジュニアがつく)
楽屋に入ると、大きいテーブルが真ん中に。 殺風景で味気ない楽屋が 明るく変身していった。
ここで 笑い話。お花を飾ってくださった BCSGの方が でも。。。「いや〜 でも SONOEさんが 嫌じゃないかしら・・・」 ここで 正体を あかそう! そんな プッと 笑える時間があり、
「がんばってね!」「行きたかったよ〜」「楽しんでね!」 今回 金沢まで来られなかった人達からの 応援のメッセージだった。 私を支えてくれる たくさんの腕を感じていた。勇気をもらった。 これが あの まあるい虹の 不思議なのか・・・
ありがとう!! ほんとに うれしかったよ。
まずは 逆リハ。ライヴでいうと、最後のバンドからリハーサルして ステージ2は谷屋Dr.、患者の代表者、司会者の3名でのトークなので、 そして、私たちのステージ1が終わって すぐに そのあと、ステージ1のリハーサルのため 椅子やテーブルをどかす。 そして、YOSHI側のパソコンを置く台やベースアンプの位置決め さて、これが終わったら いよいよ このステージで 歌ってみるんだなぁ。緊張。
この客席に みんなが座るんだな〜。そして 私の歌を 聴いてくれるんだ。
のどが めちゃくちゃ渇いてくる。もう すでに ドキドキは 始まってしまっていた。
照明さんと立ち位置のチェック。主に立つ所に ライトを 照らしてくれるわけだ。 この 光の方向などで、写真うつりも 違ってくる。
そして、一番気がかりなのは パソコンから出てくるカラオケの音だ。
久しぶりの この緊張感。不安の波。 目をつぶり、光を感じながら 呼吸を数回してみたけど、 曲が始まる・・・ ステージに出るきっかけは 決まっていたのに、 ますます 動揺してしまう。 ”禁煙 ”のランプを 横目で見ながら 「落ちつけ。落ちつけ・・・」繰り返した。
2曲目は 聴かせどころの曲。しかも みんなが よく知ってる曲だ。 これが本当に ステージに何度も立ったことのある人なのか?? くやしい!! くやしい!!
プレッシャーは ますます 高まっていく。 結局 リハーサルが終わってから、YOSHIに「どーしよ〜」と嘆いた。
お茶もお湯もコーヒーも 用意してくれていた。
とにかく 少し早めに食べて 落ち着こう。
スタッフの人に「妹が昼過ぎにユンケル持って来るので、楽屋に通してください」
妹たちが 到着。妹たちにまで お弁当を出してくださった。 妹たちは 金沢に着いた早々 SONOEとYOSHIの 付き人になってしまった。 YOSHIは 楽器のチューニングの 最終チェックをしている。
ん〜 スタンドマイクにしなくてよかったかも。スッキリしてるものね。 実は Myマイクが 会場のマイクスタンドのホルダーに合わなくて
しかも・・・急に呼ばれた打ち合わせだったので
あ〜 ひとつ忘れていたことが・・・トイレに行っていなかった。あちゃ〜〜
「あ〜 ふるぼう!!」 彼らは 1〜2ヶ月前に 金沢を旅行していたのを知っていたし、 「がんばってください!」と 2人は客席へ。 ありがとう! ふるぼう!! そして そうちゃん!!
「そのえさんですか?」「はい!」「まゆです!!」「まゆさん!!!!」 ネットの中では何度も出会い そして 会話を交わしている彼女。 まゆさんからも メッセージ付の花束をいただいて、感無量だ。
彼女たちは乳がん患者ではないが、いつも私を支えてくれているお友達。 「本番前のそのえを 一枚!!」とデジカメで ひきつった顔を撮られた。
話をしているところへ・・・なんだかにぎやかなお顔が ぞろっと後に並んだ(笑) そうです。そーなんです。 まゆりん、RATSさん、うぃんまま、そして Hさん。 本番前は すごい形相で 鬼のように緊張している私だからね。 でもね。この 緊張をほぐしてくれるように RATSさんは 大阪から、他の3人も 千葉・東京方面から 大きな花束をもらった。大好きな黄色のガーベラが たっくさん入っている。 Hさんは 手作りのアロマの”にほひ袋”を手渡してくれた。 「ありがとう!」扉を閉めてから みんなのメッセージを読んだ。 あとから 聞いた話、みんな 私と共に緊張し、
いえいえ、私が わがままを言い、カメラマンをお願いした カズさん。 彼は 私が抗がん剤で辛かった入院生活に 勇気や希望ややすらぎや・・・ 1年も前から 私を支えてくれているのに そして YOSHIに対しても 私もYOSHIも この辛さや苦しみや不安を 同じような気持ちで 支えてくれる人が わざわざ 飛行機で 重たいカメラや三脚を持って、駆けつけてくれたカズさん。
「ちゃやのです。はじめまして!」 「お土産にどうぞ」と手渡された富山のお素麺。 慣れないヒールを 久々に 履いてみた。 黒のインナーに 赤・黄・黒の混ざった やわらかいシルエットの シャツを着る。 最後に 妹たちと両親が買ってくれた 四つ葉のクローバーのアクセサリーをつけて 「よ〜し!!YOSHI!!今日は 楽しもうね!!」
楽屋の扉が開いて 「5分押しで お願いします」 お客さん やっぱり お花見に行っちゃって あんまり集まらなかったのかな?
一気に 緊張!!背中に”緊張 ”という鉄板が 入り込んだ感じだ。
ふ〜〜〜!! 大きく深呼吸した。 SEが流れる・・・・・・ 「SONOE!! 一緒に 楽しもう!!」 気が付くと Hさんがくれた にほひ袋を 握り締めていた。
そして、YOSHIが ベースを持ち、演奏をし始めた。 「 よし! 精一杯 やろう!!」 でも それでもいいや。 これが 今のわたし!!
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潜るのも 眺めて見ているのも 想像するのも 好きだ。 とにかく私は 「海のようになりたい」と ずっと 思い続けているのである。 島を守り、人間を支え、何も求めず、愛を与え続けている”海”に近づきたいのだ。 そんな 思いが 病気をしてから 人一倍 強くなった。 だから、いつか私が死んだら 絶対に ”海になりたい”のです。 そして 子供がもてたら 男なら ”海馬” 女なら ”夏海” そう決めている。 (YOSHIも 知らない 私の野望である・・・) |
時間の流れが 早くて とまどう 毎日に 追いうちを かけるように 不安が 押し寄せる 遠くを見つめる 余裕も 私に 無かった あの人も この人だって 幸せ そうに見える ただ・・・あの空は 続いている あの星は 輝き続ける ひとりきり 無人島・・・ 海に なりたい あたたかく 島を包み込むような こんななぐさめが 欲しかったんだ 私・・・ 泣いてもいいよ 今は 我慢なんて しなくていい だけど 明日 元気になろう 一つの痛みが おとずれ 気持ちが すさんで 何もかも 嫌になって どこかへ 逃げたかった 誰も 同じになれない 愛する 人でさえ 苦しみを 背負うように 歩き出した 坂道 でも・・・この道は 続いてる この足は 動き続ける あの夢は 待ってる・・・ 愛に なりたい 波にたわむれて 貝殻 揺れる こんな安らぎが 欲しかったんだ 私・・・ 弱くてもいいよ 今は 素顔のまま 流れていい だけど 明日 笑顔になろう 海に なりたい あたたかく 島を包み込むような こんななぐさめが 欲しかったんだ 私・・・ 泣いてもいいよ 今は 我慢なんて しなくていい だけど 明日 元気になろう 弱くてもいいよ 今は 素顔のまま 流れていい だけど 明日 笑顔になろう だけど 明日に なったら 元気になろう! You Can Do It !!! |
ーー MC ーー
(拍手)
こんにちわ! 今日は どうぞ 一緒に楽しんで 最後まで お付き合いください!
SONG 2 「HERO」
高音部があるので パワー消耗する曲です(笑) この曲からの メッセージは 「HEROはあなたの中にいる」ってこと。 伝わったかな? ”HERO”に ならなくていい。”HERO”は こころの中に いてくれればいい。 そして、いつの間にか、あなた自身が ”HERO”だったり するのである。 私は この曲が 大好きなのです。 |
ーー MC ーー
(拍手)
こんにちわ! 今日はこんな花見日和に お花見もせずに
こちらに足を運んでくださって ありがとうございます。
私、こうやって ステージにたつのは 5年ぶりになります。
今 足はガクガクで、ステージに出てくるのに
おばあちゃん歩きになっているのではないか・・
というくらい 震えているんですけれども・・・
今日は このようなチャンスをいただいて、私も金沢で
社会復帰の第一歩を踏み出せるな、と思っています。
今回 こうやってステージに立たせていただくということで
改めて 何か記念の曲を作りたいと思いまして
1曲目に歌った「海になりたい」という曲を作りました。
「明るくて、元気になれそうな曲」をと思って 一生懸命
夏休み終了前の子供のように 寝る間をおしんで作りました。
1週間前に出来た ホヤホヤの曲です。
今の自分の気持ちが込められた1曲です。
ここで 私の自己紹介をさせていただこうと思います。
私は 乳がんの体験者です。主人と二人暮しで、
神奈川県川崎市に住んでいます。子供がいないので、今は
手抜きの のんびり主婦をしています。
趣味はダイビングで、重いタンクが心配ですが 今年こそ
海に 潜りに行きたいと思っています。
それでは 私の乳がん体験談をお話いたします。
今から 3年前に 左脇の下にしこりを見つけました。
ビー球みたいな感じで、コリコリしていて、異物感がある感じ
でした。それは押すと痛みがあったので、まさかガンだとは
思ってもいませんでしたし、以前に細菌によって鎖骨のリンパ腺が
腫れた事があり、その時と同じかな?という安易な気持ちでした。
ちょうど そのころ結婚6年目にして、海外旅行の計画を
楽しみにしていた私は、そのしこりを野放しにしたまま
グアムに行って、帰ってきてから病院に行きました。
いろいろ検査をしていくうちに そのしこりは 胸のほうから
きているということで 細胞診というしこりに針を刺す検査を
したところ 結果は「クロ」という診断受けました。
あなたは「乳がん」です!とはっきり告知されました。そして、
他の検査の結果で、脇の下の白い影・・これはリンパ腺に転移したものだと
いうこと。それは最終的には 8ヶ所ありました。
乳がんの告知と一緒に転移も告げられてしまいました。
手術は、4分の1切除も可能ということでしたが、
私のしこりは 繊維化していたこともありましたので、左乳房を全部切除すると
自分で決心をしました。リンパ腺のほうも ほぼ全部摘出しております。
そして 術後の治療は ホルモン療法と放射線治療、抗がん剤治療を
行いました。抗がん剤治療はその中でも 一番辛かった治療です。
点滴の回数を重ねるごとに 辛さは増して、最後の方では
点滴台を(ガラガラ引っ張っているあの台)目撃するだけで
気持ちが悪くなるという状態でした。
かなり 精神的にまいってしまいました。
やっと 一通りの治療が終了し 2年ちょっと経った、昨年の夏、
血液検査の結果 腫瘍マーカーが かなり上がっていて、
通常だと「1」が正常範囲なのに、「138」までになっていました。
それで 全身チェックしたところ、骨の方に不鮮明な影があり、
これが 原因ではないか・・・と、骨転移という診断を受けました。
今回 せっかくここに集まってくださった方々に、
私からのメッセージが あります。
実は、手術を受ける3年も前に しこりらしきものを主人が指摘した
ことがあったんです。女性は生理前とかに 胸が硬くなったり、
痛くなったりすることがあるし・・と あまり気にせず流してしまいました。
今思えば あの頃に 私が少しでも真剣に受け止めて 不安がって
病院に行っていれば、今の医療器具なら 本当に初期のがん細胞を
見つけることができていたかもしれない・・と 後悔しているんです。
だから、せっかくここにいらした方々は ちょっとでも不安なことが
あったら、勇気を持って、病院で診察を受けてください。
早期発見、早期治療を 頭において 日々お過ごしください。
あとは ステージ2の方で この辺のお話があると 思います
この辺で 先ほどステージで弾いていた・・・シャイなので隠れてしまいました
人を ちゃんと紹介したいと 思います!
私にとって、音楽活動でのパートナーであり、生活の上でのパートナー
でもあり、これからもパートナーであり続けると思う・・・
たぶん・・・きっと・・・(笑)
紹介します!! YOSHI です!!(拍手)
私達 2人でステージに立つことは ほんと、初めてなんですよ。
今回は金沢でのステージということで 2人でなんとかしようと、
ノートパソコンを買い込んで、音源を買い込んで、一生懸命
2人で音作りをしてきました。
しかも 主人は ベーシストとしてやってきたので、ベースしか弾かない
のですが、1曲だけ ギターにも挑戦しようという
新しい試みでやってまいりました。
慣れないステージなんですが、二人三脚で頑張りたいと思っています。
私は 歌が大好きで バンド活動を続けていました。
入院中も 動けるようになればなるほど、「歌いたい病」になって、
外出届をもらっては、駅前のカラオケ屋に行って 歌いまくって
スッキリして 病院に戻っていたんです。
ほんとうに好きで歌っているので これからも歌っていきたいと
思ってはいるのですが、やはり 病気になったことで
ちょっと体を甘やかしてしまったりで、最近は腹筋が弱くなったり、
プレッシャーにも弱くなったり、体力的に落ち込んでしまったり・・・
金沢でステージというだけで、おじけづいて 途中 ねをあげそうに
なってしまいました。そんなときにネットで知り合った乳がん仲間に
こぼしまくったんですが、その人たちが言ってくれた
「今のあなたのままで 一緒に楽しもう!」という言葉に励まされました。
あとは・・身近でいつも支えてくれている人たち・・・
病気の話をした時に「代われるものなら代わってやりたい」と
言ってくれた両親。
それから、看護婦としていつも私のそばにいてくれて、周りの家族を
サポートしてくれている妹達。
それから・・抗がん剤治療のときなどに、隠し持っていたPHSに
毎日毎日 励ましの言葉を贈ってくれたお友達・・・
乳がんのHPを渡り歩いて、いろんな資料や体験記をたくさん
プリントアウトして、手術の前に 病室のベッドに
「読んどけよ」って ぽーんと置いて・・・
この人、無口なもんで・・・(笑)
そのたくさんの資料を 私は手術前に必死に読んで、励まされました。
手術後は 毎日、1ヶ月間 皆勤賞で遠い病院まで
足を運んでくれた主人・・・(拍手)
ほんとに 感謝してもしきれないですし、心配のかけどおしですが
この場を借りて、ありがとうの気持ちをこめまして、
お友達や家族のみんなに 歌を2曲続けて 歌いたいと思います。
(拍手)
SONG 3 「PEACE OF MY WISH」
「あきらめないで すべてが 崩れそうになっても 信じていて あなたのことを」 「愛する人や友達が 勇気づけてくれるよ。そんな言葉 抱きしめながら・・・」 どんなことがあっても ”あきらめてほしくない” そして 誰よりもまず、”自分を 信じてあげてほしい” そんな メッセージを 贈りたかったのです。 |
ーー MC ーー
(拍手)
いつも 支えてくれて ありがとう!!
(拍手)
SONG 4 「優しい風」
ある日 どこからともなく 店先から流れてきた。この曲に 足が止まった。 これは 運命の出会いなんじゃないかと 思ってしまった。 「瞳にうつした 痛みも涙も 無くせないけど、ただ 今 2人が ここに生きている それが すべて・・・・・」 そう・・・”生きている”からこそ、出会いがあり 別れがあり、 苦しみも痛みも涙も・・・喜びも幸せも・・・・ついてくるのである。 家族や YOSHI への 感謝もこめて 歌いたかったのである。 |
ーー MC ーー
(拍手)
は〜〜 やっと少し 緊張がほぐれてきたかな・・・(笑)
今回 私、金沢 2度目なんですよ。11月に打ち合わせを兼ねて
こちらにやってきました。今回は飛行機で すぐだったけど
その時は 車で6時間かけて来て はっきり言って疲れていて・・・
でも、兼六園だけは どうしても 行きたかったんですよ。
兼六園を歩いていたら、なんだかしんどくて、普段は腕なんて
組みもしない主人の腕にぶら下がるようにつかまって歩いて・・・
雪つりと紅葉の時期だったのに 気力なく歩いていました。
そしたら・・ハラハラ・・と落ち葉が足元に落ちてきたの。
なんだか それが 気になって、拾って手にとってみたんです。
今 その木から落ちてきた落葉。なんだかパワフルな感じをうけて、
急に「そうだ!集めて帰ろう!!」と思い立って、兼六園の後半、
ず〜っと下を見たまま歩いていました。(笑)
持てるだけパンフレットに挟み込んで・・・集めたんです。
お友達にもあげたい!って・・・いいお土産だ!”ただ”だし・・・(笑)
拾い集めているうちに、元気になってきたんですよ。
金沢っていうと、パワーのもらえる場所みたい・・・
今回も東京のほうでは 桜も散ってしまっていたのに、こちらでは
満開で 良い桜をまた見ることが出来て・・・またパワーもらえて。
昨日も 宿の近くの犀川のあたりを 歩いてみたんだけど、
立派な桜がたくさんあって、私は 人目も気にせず、抱きついて、
「あ〜 パワーもらうぞ〜!!」
5本くらい 抱きついたかな?(笑)
金沢にきたら いつも 美味しいもの食べれるし、パワーをもらえる場所
という感じで 結びついてしまっています。
昨日は 方言のことも教えてもらったりして
「しましまにしまっしー」とか「・・・がや」とか・・・
可愛い方言だったりして・・・でも パワーいっぱいの場所で・・・
でもね。おうちに帰って 現実に戻ると、不安なことがたくさんあって。
みなさんもそうだと思いますが、病気の方は その病気の不安。そして
社会の不安や将来のふあんとか子供の不安とか・・・いろんな不安が
ありますよね。私も人一倍 不安を持っていて、誰かにあげたいくらいです。
だけど、それを振り払おうとしても 蹴っ飛ばしても、それはまた
押しよせてきて 日々 付きまとってくる。
「これじゃ考え方をかえなければ お先真っ暗だ。」
どう考え直したら いいんだろう?
そうか ここにころがってる不安、こんなにたくさんあるなあ〜
だけど、これは足元邪魔だから、こうやって抱えて、よいしょ!
足元になにもなくして、一歩を踏み出そうかな?
そしたら ここで立ち止まってウジウジしてるよりも、
何か見えてくるかもしれないし、景色も違うだろう。
「不安は小脇に抱えて まず一歩!」
そんな風に考えるようにしたんですよ。
自分も音楽で 人の不安を少しでも軽く出来たり、このように
メッセージを贈ることができて・・・そんな活動をこれからも
できたらいいな、やっていきたいなって思っています。
次に歌う歌なんですが、私が入院中に聴いていたCDで、
夜聴いたら、涙が出て出て止まらなくなってしまった曲があります。
私が 勇気と希望をもらった曲です。
その曲を 聴いていただきたいと思います。
SONG 5 「あぁ」
「目の前の現実は 厳しすぎるけど、も一度だけ 賭けてみよう!」 「あきらめないで 前だけ向いて 歩いてみよう。 「もう 逃げないで この今を 乗り越えてみよう とにかく このまんま 伝えたかった曲 なのだ。 本番 この曲では 2コーラス目から あたたかい手拍子が 聞こえてきた。 今までに 感じたことの無いほどの 一体感を感じた手拍子に 胸が熱くなって 歌うのが 大変だった。泣きそうだったじゃない!!(笑) |
ーー MC ーー
ありがとうございます。
なんか・・・あたたか〜い手拍子だったなぁ〜(笑)
うれしいです。
今の曲の歌詞にも出てくるように、「なにかに背中をぐっとおされ」ないと
決められないことがあったりするんですが・・・
このようにステージに復活して 主人と2人で立っていられるということは
ある意味 私の病気である「ガン」が背中を押してくれているって思うんです。
あんまり感謝はしたくないんですが、このことだけは感謝したいなって。
これからは 共存していかなければ ならないので、少し大事にしてあげれば
おとなしくなってくれるのかもしれませんね。
今回もそうですが、曲に行き詰まったりすると、気分転換がしたくなります。
そんなとき・・昨日もそうでしたが、お風呂にはいるんですよね。
先日 アロマキャンドルを引っ張り出して お風呂に入りました。
「あ〜ほこりがかぶっているな」って思いながら、お風呂に浮かべて入ったの。
暗くしてその炎をみていたら、「このほこりのかぶった
キャンドルは私だ」そして 周りの水は支えてくれている人達。
湯船を揺らしてみる。揺れるけど大丈夫。
波を立ててみる。あちらの壁にぶつかって 戻ってくるキャンドル。
そっと 手で下から覆ってみたら、手がオレンジ色に光って綺麗だった。
「そうか、まずは自分で自分を支えてやらなきゃな〜」って。
なんだか わけのわからない話になってしまったのですが、
日々、そんなことを考えるのは 楽しくないですか??
ただ・・やっぱり いろんな人たちに支えられているって感じます。
ここへ来てくれた方たちは 私が100年生きたとしても(笑)その中では
一握りの出会いですよね。そんな方たちと出会えて
同じ時間を過ごせることは ほんとにありがたいことです。
これは 私のほこりのかぶった宝箱に一つ一つ増やしていこうと
思っているんです。その宝石一つ一つがずっとずっと輝いていて
くれますように 私は 願っています。
それでは 最後の曲です。
この曲は 実は10代のときにはじめて作詞作曲した思い入れのある曲で
バンド活動をしていく上で 20年の間に 私と共に成長してきた曲です。
そして 20年たった今でもこうやって歌える・・・うれしいことです。
去年の3月にラジオこまつさんの「乳がんを考える」という番組で
この曲を流していただいて 今回は 主催者さん側からのリクエスト
ということもあり、また歌えることになりました。
最後の曲になりました。
お付き合いくださいまして ありがとうございました。
最後の曲 「夢を信じて」聴いてください・・・
(拍手)
SONG 6 「夢を信じて」
谷屋Dr.は ラジオこまつ で 流してもらった時から、この曲を気に入ってくれて これを 今回も リクエストしてくださったのだ。うれしいです〜!! その時の 歌詞を 少し変えて 歌わせてもらいました。 この 作り直した歌詞は 今の私にとって 応援歌になっている。 人に メッセージとして 歌う反面、歌というのは 自分へのメッセージにも なるのである。 人を励ませば 人に励まされ、自分が笑顔でいることで、相手も 笑顔にできると 信じている 単純な 私 なのである。 これからも この 思い込みは きっと 続いていくんだと 思うのです。 |
夢を信じて 作詞・作曲 SONOE 編曲 SONOE うれしすぎて 涙がでたの 出会うことが できたこと 辛い日々も 不安なこころも わかり合える 気がする HOLD ME 強くなれたね あなたが いたから TATCH ME つまづくたびに 泣いたりするけど・・・ 私の すべてを 支えて くれる人だと 信じたい 愛せば 愛されると 単純な 私だから 今夜だけは 一緒にいてね ひとりきりだと さみしくて あなたなしで 生きてゆける 自信が ないのよ HOLD ME 抱きしめられると 未来を 夢見る TATCH ME 優しすぎるから 甘えてしまうの・・・ あなたと 歩いて ゆきたい 生きている限り ずっと 何も 望むことは ないから そばにいて 笑っていてね
あなたと 歩いて ゆきたい 生きている限り ずっと 何も 望むことは ないから そばにいて 笑っていてね 私の すべてを 支えて くれる人だと 信じたい 愛せば 愛されると 単純な 私だから |
★ ステージが終わるころ・・・ ★
今回のコンサート 最後の曲 「夢を信じて」を 歌い終わるころには 歌っている間は とにかく 「泣くもんか!メッセージをちゃんと 伝えたい!」 しかし、歌い終わった充実感と、花束に・・・ そでに 隠れた私は すごい 形相になっていた・・・と 思う。 すぐに 楽屋に 入ってしまった。
YOSHIも 楽屋に 戻ってきた。 「よかったよね。よかったよ。私 すごい 充実感だよ。 そう YOSHIに せきをきって、機関銃のように しゃべりまくっていた。
まず ヒールからスニーカーへ。 そして、鏡の前で アクセサリーをはずす。 Highな気分になるのは ヒスロンHの副作用ばかりでは ないのだよ! でも・・・ 「やった〜!!終わったんだ〜!!」 なんだか 幸せだった。 この 楽屋も ステージも 幸せを感じる場所だった。 こころの中で 繰り返していた。
対談を 聞きたくて 楽屋を出てみる。 ロビーに 誰もいない。 私は ステージのそでに行って 身を乗り出し 3人の対談を 聞いていた。 ★ 幕が降りてから・・・ ★ まずは 振り返りざまに 私に気づいた谷屋Dr.・・・いきなり 私は なにをかくそう 谷屋Dr.の大ファン。
そして 同じ患者同志でもある、ひとみさん。若々しくて可愛い人。
もう 昔からの友達のようだった。いつも笑わせてくれる なかちゃんだ。 なかちゃんは「もう!ステージ1で泣かせるから、司会 鼻赤でどうしようかと思った〜」
こんな素敵な方たちと ご一緒できたこと ほんとうに ありがたいことです。
少しすると 続々と お友達が 現れる。私は 扉の前で 待ち伏せる。 うちの両親も 顔を出す。お辞儀ばかりしてて、うまく撮れなかったよ〜。 2階の 打ち上げ会場の 支度ができて 「どうぞ2階へ」と 声がかかった。 みんなが 丸く テーブルの周りに座ってから 自己紹介タイム!! 私の親愛なるお友達が ハンドルネームを言うたびに だって 私のために 遠くから来てくれて、乳がん関連のサイトでの 有名人が 1時間ほどの 打ち上げは あっという間に おひらきに なりました。
あの場で 言いたかったことは しつこいようですが、皆様に支えられて 今の私がいる・・・ だから 今回は 少し、みんなに恩返しができたかもしれない・・・
まだ 未熟だから 出来ることは限られているけど どうか みなさん、これからも こんな私の そばに いてください。 「本当に いつも 支えてくれて ありがとう!!」
そして Hさん、まゆさん、カズさん、お父さん、お母さん・・・ 会場に来られなかったけど、お花を贈ってくださったり、 最後に アストラゼネカの皆様、BCSG石川の皆様、後援の皆様、 そして、谷屋先生!!「夢を信じて」を愛してくれて、 なかちゃん!!
まだ 走れば間に合う?? 舞い上がっていた私・・・あ〜 一生懸命作ったのに〜!!
・・・おいおい・・・まだ 何か やるのかい?? (笑)
病院見学に 車で連れていってくださるとのこと・・ まさか 本番後に 行くことになるとは 思いもしなかったけど・・・ 限定4名(車に乗れる人数)です。 ちろさん ありがとう!! 運転手さんやらせちゃって ごめんね。
建物は まず 明るいイメージで 病院っぽくない。 外来・・・・ アロマの香りがただよい 病室のある3階・・・ 床がフローリングで かべも 淡い茶色。 病室・・・・12床のうち 8床は全て個室。 私 入院するなら ここに来ます! トイレ・・・・ちゃんと両側にペーパーがあります。 2階の広間のようなところには リラックスできるソファーと 乳がん関連の本棚。 食事・・・・・ダイニングテーブルがあり、みなさん ここで 食事をする。 なにせ 病院でのひとりの食事は 味気なく つまらなかった私。 しかも コーヒー飲み放題!! DVD・・・・この部屋の大きめのTV。 消灯・・・・・ここでは 消灯時間というものが ないのです。 風呂・・・・24時間OK! 洗濯・・・・洗濯機も乾燥機も無料。 いたれりつくせりだ。ここに 住みたい・・・(本気で思う 私) トリートメントルーム・・・・・?? 術側の腕をマッサージ器で マッサージしながら・・・なんてこともできる。
Dr.のファンは ものすごいたくさんいる。 私も これだけは 参加しようかな??
先生とは 回診中に廊下でお会いして お礼を言って
今夜の夕食は なんだろう・・・ 今夜は 家族も集合で食事。 食事は また今夜も「美味しかった〜!!」の連発! ほんと大満足! それに コンサートやイベントの話で盛り上がり、 夕食が終わると 両親はお風呂・・・そして早めに休むということで つまみをひろげ、ビールを開けて、乾杯をして・・・第二回打ち上げ!! とにかく 話題は今日のイベントのことと、くだらない話と、真面目〜な話と どこか 体の芯から疲れているようで、まだまだ 余裕もあるようで しかし 今日一日は 目まぐるしかったけど 有意義で素敵な一日だった。
市民フォーラム 翌日 (2001年4月9日 月曜日)
★ 目覚めすっきり?? ★ 「ご飯の用意が出来ました〜」とすました声で 電話してきたゆうちゃん。
さて、今日は 和倉温泉へ行くんだ。早く 荷造りしなくちゃ!! 10時チェックアウトだ。 よし!準備は OK!!水につけておいた花束も ちゃんと作り直して、いざ 出発!
あれ? ここのおふたりさんってば・・・まだ 浴衣のまま? 「チェックアウト10:00だよ〜」 「あれ?そんな時間?」 ついつい 世話をやいてしまうわ〜。 こんな 君達が 大好きなんだよ〜!! そのえは ほんとうは まだまだ 一緒にいたいのです。
でも・・・別れの時間は やってきた。 みんなで 犀川をバックに 写真を撮ろうね。 レンタカーがやってきた。 まゆりんとままは 飛行機で 千葉へ帰るのだよね。 私達6人は レンタカーに乗った。 車の中で 2人が見えなくなるまで 手を振った。
ここは ほんとうに気持ちがいい場所!!大好き!! 海岸を車で走る〜。 ★ のとじま水族館 ★ 私とYOSHIは とにかく水族館が大好き! やはり ここまで来たら のとじま水族館!!
1頭のイルカくんは何もしないで ぐるぐる水槽を泳ぎまくっていた。
イルカたちは私を見ている気がした。 背泳ぎ、上手だった。君達を忘れないよ。
私は こういう旅館に来ると 必ず 探検してみたくなる みんな、夕飯の前に お風呂に入ることになりました。 でも・・・混みあっていないと いいなあ。 見えちゃったら見えちゃったで、けっこう平気なんだけど、 勇気は いるよね。 ★ 湯船で海を眺める ★
ここの露天風呂は2つあった。ひとつは直径3mくらいのまあるい湯船。 四方八方眺めながら、空を 雲を 海を 感じた。最高だ!! 裸のまま おっぱい無いのも忘れて 腰に手をあてて仁王立ちして・・・ この幸せは 私を元気にしてくれている、そう感じました。
★ 家族といること ★ 夕食は 宴会場まで歩く。仲居さんが案内してくれた。
6人で素敵な料理を食べ、気分良く 飲み・・・幸せなときだ。 いつもは・・・心配かけてばかりの家族。 そして、YOSHIと出会って よかったよ。 家族の皆様!! いつか この 恩返しができるように 精一杯 生きていくからね!
★ 両親への感謝 ★ はたから見たら、うちは過保護な家庭だった。
妹が2人できて、きっと嫉妬やねたみがあったりして、こまらせたと思う。 5歳のとき、しょう紅熱という伝染病になった。 私は はじめての入院。泣いたのかな? 覚えていない。 ただ お父さんに抱っこされて、雪の降る中、
たしか 隔離されたからしばらく会えなかったんだよね。
1度だけ 平手打ちをくらったことがありました。 今でもたまに出る おやじギャグ・・・これだけは こっちがつらいけど(笑)
ゆうちゃんは 私と1歳3ヶ月しか離れていない妹。 だけど、いつの日かしっかり者の妹になっていたね。 乳がんになった時、看護婦のくせに 泣いたりしている。 入院してから「あ〜 あの優しい看護婦さんのお姉さんなの?」って あなたの笑顔が 患者さんを守っている気がした。 先輩には可愛がられ 後輩には慕われているゆうちゃんは 術後は 毎日のように体を拭いたり、髪を洗ったりしてくれて ありがとう!
もう一人の大切な妹は 子供が4人いるので、 4人目がお腹に出来た時、私の気持ちを察して、 今は 甥っ子達と一緒に過ごすことが 生きがいなの。 これからも 近くにいさせてね!!
★ YOSHIへの感謝 ★
この方にも 感謝を申し上げておかねばなるまい・・・(笑) 夫婦っていったいなんなの? 昔のような甘い言葉も、気恥ずかしさもないけれど、 私がガンという病気になり、おっぱいを無くし、 こんな女房は 本当に必要なのだろうか?・・・と 悩む。 かわいそうだから、今更 見放せないから、仕方ないから 本当のところは 確認していないからわからないけど、 これからも もし 一緒にいてくれるのなら、 いつも ありがとう!(いちおう 言っておくわ〜)
市民フォーラム 翌々日 (2001年4月10日 火曜日)
★ 小松空港へ ★
さて、今朝もいい天気。宿からチェックアウトして、 お土産を買いたいという女ドモの要望で 兼六園の周辺へ。 お土産を買い終えて、今度は 近江町市場へ。 後ろ髪を引かれつつ・・・また 車に乗り込んだ。
レンタカーも返さなきゃいけないし、早めに空港へ。 また 出発まで いろいろ雑談をしながら 過ごした。
★ また 来ます!! ★
なんだか このイベントまでの道のりを思い出し、 乳がんであることが、私をもう一度ステージに導いてくれたし、 私は 乳がんに感謝すべきなのかもしれないな・・・ YOSHIと2人でステージに立った喜び、みんなのあたたかい拍手。
私は お役に立てたのだろうか?? もっと もっと こうしたかった ああしたかったって思うことはあるけど・・・ 今回は それだけで 許してもらっちゃおう!!
BCSGの方々・・・お世話になり ありがとうございました。 「また きっと 来ます!!」そう言って、私達は飛行機に乗り込んだ。
★ 元気満タン!がいちばん!! ★
帰りの飛行機は 疲れているはずの私の体は 元気満タンだった。 いろんなものを 受け取って、いろんなものを 感じて、 たくさんの人たちからもらった勇気。 これは 決して 無くすことはありません。 これからの私は こころに注がれた
そして、また この地を訪れたときは 私も 家族も 友達も・・・みんなが 元気満タンで!! ね!!
この金沢の日記を 最後まで読んでくれたこと 感謝いたします!! |